なんだか随分久しぶりな更新になってしまいました。
別に忘れていたわけではなかったんだけど、
病気だったときの記録からちょっと目を背けたかったのだと思う。
で、なんで思い出したのかというと笑
最近久しぶりに会った友人が「うつ」になっていて
「生きる」こと
「死ぬ」ことについて話す機会があったから。
その友人は私の境遇について
「(死が間近にあるのなら)一日が充実してそう」
「死ぬより生きることの方が色んな意味で大変だろう」
と言っていた。
その友人が「うつ」だからこういうことを言ったというわけではなくて
多分、普通に生活している人なら同じように感じるのだろうけど、
実際は全然違う。
一日一日を常に必死で過ごしていて、
充実してるなんて思ったことなんかなかった。
そんな過ごし方を「充実している」と表現したのかもしれないけれど
自分の将来に「死」しか待っていない状況で
不安と恐怖以外感じることなどない。
それが「充実している」というのかな。
「生きること」と「死ぬこと」
今「生きること」に疲れている友人は
「生きている方が大変だ」と思うかもしれないけれど
「死ぬこと」も簡単じゃない。
諦めに似た気持ちで「死」を受け入れたはずだった。
でも実際に自分の身体がもうどうしようもないくらいの状態になって
すぐそこにある「死」を実感したとき
例えようもない不安と恐怖が襲ってきた。
目の前に現れた闇は
心底恐ろしかった。
身体の底から湧き上がってくるその思いは、耐え難く苦しい。
人間の生き死になんて、
小説や
ドラマみたいに
綺麗事じゃすまない。
昨日まで話すことができた人が
もう次の日に亡くなって
その身体の冷たさと、硬さを感じると
そんなものは幻想なんだと分かる。
結局、「生きる」のも「死ぬ」のも辛くて苦しくて大変なんだ。
そのことに向かい合うまで
ものすごく時間がかかるけれど
出来ないことじゃない。
友人には、そのことに気づいてほしい。
この記事へのコメント一覧
ずいぶんチェックはしてたのですが、
更新がまったくなくなって、しばらくぶりにのぞいてみたら更新していました(笑)
うちの娘は、ほとんど感染症もなく、
もう薬も終了しました。
お互いに病気のことはあまり話題にしなくなりました。
過去を振り返りたくない気持ちはたんたんさんと同じだと思います。
僕の友人にもうつ病の友がいます。
メールでのやり取りはあるのですが、
最近はあまり会うのを嫌がるようになりました。
確かに生きるのも大変ですが、
生きていれば楽しいこともあると思いますよ。 [削除]
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ヒAB
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